患者さんの声 私の日々の生活~daily life~

Aさん 女性

私は健診で嚢胞が見つかり多発性嚢胞腎と診断されました

診断を受けて両親へ相談した時に、両親から実は父も嚢胞腎であること遺伝性の疾患であることを話されました。家族の中では父、弟が嚢胞腎で、弟は腎臓移植を受けています。

治療について、一年前からサムスカの服用が開始となり、毎月一回通院しています。サムスカの服用が始まって変わったことはトイレの回数が増えたことですが、コロナ禍に伴い在宅ワークとなったことでトイレへ行くことを気にしなくて良いところはありがたいことです。水分摂取量とトイレ回数が増えたこと以外に大変な点は特になく、血圧も安定して過ごせています。

ただ、生活の中で大変なことは大きい水を持ち歩いて移動することです。小さい物を購入してその都度買い足せば良いのですが、経済的にも負担になるので一番大きい物を買って持ち歩いています。

サムスカが開始した当初からコロナ禍のため外出頻度が少なく、トイレで困ることはありませんでしたが、これから外出が増えていくことを考えるとどのような生活スタイルになっていくのか気がかりです。

 

また、私には子供が二人います。子供たちには嚢胞腎について話をしていません。上の子が20歳を向かえるのでいつエコーを受けさせるべきか、もし、嚢胞腎の診断を受けたらどのように話していくべきか考えています。

今まで、育児や仕事に追われ自分の体について向き合う時間が取れませんでしたが、育児がひと段落してきたので、これからは同じ疾患の方との繋がりやこの協会と共に嚢胞腎についての活動に関わっていきたいと思っています。

Bさん 50代 女性。 

 私が診断受けた時は20代後半でした。その日は親戚の家へ訪れていたんです。急にひどい腹痛に襲われ、救急病院を受診しました。その時は大事に至らずに済みましたが、祖母が嚢胞腎でしたので、後日精密検査をして嚢胞腎であることがわかりました。

 家族の中では、祖母、母、おば、私が嚢胞腎です。兄妹は3人いますが私だけに遺伝しています。祖母は透析を導入せずに86歳で亡くなりました。母は64歳からサムスカの服用を開始し、74歳から透析も導入しています。おばは、60歳頃から透析を導入しています。

 現在の治療は、血圧管理と嚢胞の経過観察です。受診は半年に1回、あとはオンライン診療で降圧薬を処方してもらっています。生活習慣で気を付けていることは、飲水をたくさん摂ることです。食事とは別に少なくとも1日1L以上は心がけ、カフェインの入ったものは摂らないように気を付けています。

 

 嚢胞腎の診断を受けた当時、お付き合いしていた人がいましたが、その後ご縁がなく別れることとなってしまいました。20代後半で結婚も視野に入れていたので落ち込みましたし、それを機に疲れてしまい働いていた仕事も辞めてしまいました。半年間は勉強したり遊んだりしてのんびり過ごして前向きに付き合っていこうと気持ちを切り替えていきました。その後就職し、今の夫と出会い、病気を理解してもらった上で結婚し、3人の子供に囲まれて生活しています。一時は子育てに専念していましたが、50歳を機に再就職し、今は仕事に子育てと邁進しています。子供たちへは私が嚢胞腎であること、遺伝性疾患であることも話しています。私は、自分の病気のことを一種の模様と思っています。みんな違った場所にホクロがあるように私には腎臓に模様ができているだけ。後ろ向きに思っても仕方がないので、前向きに細く長く嚢胞腎と付き合っていきたいと考え日々を過ごしています。

Cさん 60代 女性

 私が多発性嚢胞腎と診断されたのは7年前でした。嚢胞腎は母からの遺伝ですが、母は81歳で亡くなるまで透析には至らず、あまり生活に支障なく最期まで暮らしていました。私は10年ほど前から血圧が高いと健康診断などで言われていましたが、病院で診てもらうことはせずそのままにしていました。母は嚢胞腎が原因で亡くなったわけではありませんが、母の死をきっかけに病院で検査を受け、多発性嚢胞腎であることがわかり専門の病院での治療が開始となりました。診断を受けた時にはすでに腎機能は低下しており、治療を開始してから1年半程でサムスカの内服が始まりました。サムスカの導入にあたって、心配事が2つありました。1つは通勤です。私は通勤に1時間半程かかっていたので、通勤中のトイレはどうしたら良いのか、仕事はセーブしなければいけないのかが不安でした。2つ目は海外旅行中の移動や旅行先でトイレを見つけるのはどうしたら良いかということでした。海外旅行は私の唯一の趣味だったので、趣味を諦めなきゃいけないのかしらと悲しくもなりました。それらを担当医へ相談すると「通勤時間が心配なら出社してから内服したらどうか。海外旅行に行くときは内服しなくてもいいですよ。」という返答でした。血圧の薬は継続しなければいけないけど、サムスカは臨機応変に対応して大丈夫ですよと言われ、とても気が楽になってサムスカを始めることができました。おかげでコロナ禍前まではたくさん海外旅行へも出かけることができました。サムスカを開始する時は3日間の入院がありました。初日に内服した時はビックリするくらいの排尿があり、「これからどうなっちゃうんだろう。これで社会復帰できるのか?」と不安になりましたが、私の場合3日間で劇的に体が慣れていきました。もちろん、普通の人より尿量も多くなりますし、飲水量も増えますが、導入時にものすごく心配したほどではありません。今では、駅はここにトイレがあるなとか、長い会議の時はここに自販機があって飲み水は買えるな、などサムスカを服用しながらの生活にも慣れてきています。サムスカを始めて5年経ち、内服量は増えましたが、幸いにも肝機能も保たれており内服は継続できています。

 私の住んでいる市では難病についての講演が催されています。多発性嚢胞腎も何年かに一度テーマとして取り上げられるので参加していました。そこで同じ病気の仲間と知り合い定期的に情報交換をしたりして交流しています。私は周りに病気を隠しているわけではありませんが、仲間と集まる時はファミレスでおしゃべりしていてもトイレに行く回数を気にしなくいいのでとても気楽に過ごせます。それぞれ症状は違いますが、話をすると元気をもらえますし、同じ気持ちを共有できる仲間がいることはとても心強く思っています。

Dさん 40代 男性

 

 診断を受けたのは32歳の時でした。私の母は元々腎臓が弱く、透析の導入を検討した時の検査にて多発性嚢胞腎と診断を受けました。遺伝性疾患ということもあり、私と妹も検査を受け、二人とも嚢胞腎であることがわかりました。通院を始めてから直ぐにサムスカの導入となり、内服開始の時は3日間入院いたしましたが、特に問題はなく開始することができました。サムスカを飲み始めて尿量が増えたことには驚きましたが、それ以外に生活への大きな支障はなく過ごせています。サムスカを始めて10年近くなりますが、幸いにも肝機能も保たれており継続することができています。

 

 

 多発性嚢胞腎と診断された当時、すでに結婚していましたが子供はおらず、今後子供を持つかどうか妻と相談し遺伝カウンセリングを受けています。そこでカウンセラーと共に話合い、今は5歳の男の子と2歳の女の子、二人の子供に恵まれ暮らしています。日頃、遺伝について意識していませんが、ふと頭をよぎることはあります。子供のためにも色々な情報を集めていきたいと思っています。いずれ子供が成人し嚢胞腎の検査を受ける時には、遺伝カウンセラーの方にも相談に乗って頂きたいと考えています。

 

 

 私は地方に住んでおり診断を受けてからは近医の先生より診療を受けていました。多発性嚢胞腎を専門に診ていらっしゃらないことや地方では最新の情報が中々入って来ないことにモヤモヤした感情を抱いておりました。色んな方と出会う中で専門の先生をご紹介頂き、現在は遠方まで月に1回受診しています。時間や通院費はかかりますが、家族の協力を得て通院できています。地元では血液検査と尿検査の結果、体調の確認程度で外来時間はとても短く、こちらから話を振っても期待した応えが返ってこないことが多い印象でした。新たに病院を変えてからは薬の飲み合わせや検査数値について気になることを細かく教えて頂けているのでとても満足しています。これからも多発性嚢胞腎について色々な情報を集めて、療養や生活に役立てていきたいと思っています。

Eさん 50代 男性

 

 2015年に父が体調を崩し入院し、多発性嚢胞腎と診断を受けました。その時腎機能はすでにかなり低下しており、すぐに透析導入となりました。入院先の医師より「遺伝性の高い病気なのでしっかり検査を受けるように」と勧められ、弟とともに検査を受け兄弟ともに多発性嚢胞腎と診断されました。当初は別の病気でかかりつけにしていた病院で診療を受けていましたが、その時の担当医は多発性嚢胞腎の診療経験がなく、難病受給者証の申請書類に不備があり、認定されなかったというトラブルから不信・不安が募り病院を変えるという経験をしました。現在は、専門の医師より診療を受け、とても満足しています。治療は通院による経過観察と内服治療です。2017年からサムスカの内服を始めています。内服当初は、移動時のトイレや水分補給で大変なこともありました。職場ではたくさん水分を摂るので「すごい飲むね~。」と言われることもありました。相手は嫌味ではないと思いますが、何人かに言われると水を飲む時に周りの目が気になるようになってしまいました。今は仕事が個人経営となり気にせず過ごすことができています。私は一回の水分摂取量やトイレの時間など基本的な生活リズムを決めることで、あまり苦労を感じずに生活できています。今は地方に転居しましたが、信頼できる病院への通院を選択し遠方まで月1回通院を行っています。

 

 始めに家族内で診断を受けたのは母親代わりの叔母でした。診断されたのは30年以上前でしたので、治療法もあまり確立されておらず、診断されてから割とすぐに透析へ移行したことを覚えています。診療してくださっていた医師は嚢胞腎に詳しくなかったため、当時は遺伝性という話もされませんでした。思えば私も中学生の頃から健康診断で蛋白尿を指摘されていました。そのようなこともあり20年以上前になりますが、妻と入籍する前に一度詳しく検査を受けようと思い、エコー検査を行いました。その時は「一般の人より嚢胞が多いが、心配するほどのことではない。まだ先のことです。」と言われ診断には至りませんでした。当時は他にどこの病院へ相談すれば良いのか分からなかったので、そのままになってしまいました。遺伝性ということを早く知っていればという思いもあり、親族へもこの多発性嚢胞腎のことを話しています。また、私の周りには親族以外でも二人、中学の同級生に多発性嚢胞腎の患者がいます。共に連絡を取り合う中で嚢胞腎協会のイベントやNewsLetterなどで参考になる講演やコラムなどを話題として話ができるようになりました。

これからも患者の立場で難病に向き合っていきたいと思っています。